過去形をどう訳すか

フランス語翻訳で問題になるのは過去形をどう訳すか、という問題です。ご存じの通り、フランス語には過去時制がいくつもあるので、まずそうしたさまざまな過去時制の違いを理解することも大変ですし、その違いをうまく訳し出すことはもっと大変です。

普通まず、フランス語の複合過去と単純過去は動作を、そして半過去は習慣的行為、状態を、そして大過去は過去の過去を表すと習います。そのために、複合過去、単純過去は「~した」と訳し、半過去は「~していた」と訳す方がいらっしゃいますが、機械的にこうした訳をすると、かなり滑稽なことになってしまいます。

また、複合過去は日常会話、手紙、日記等で用いる、そして単純過去は歴史、新聞等という風に説明して、時制としての働きは同じように説明している本もありますが、実際には異なるのです。ひとつのテクストの中に、複合過去と単純過去が共存することは非常によくあることです。つまり両者は言わんとすることが異なるのです。

また、フランス語では過去のことを述べるに当たって歴史的現在を用いることがありますが、これをそのまま現在形のように訳すのかという問題もあります。逆にフランス語では過去形で書いてあるけれど、日本語でそれを(歴史的現在として)現在形で訳してはいけないのか、という問題もありそうです。

フランス語の翻訳という観点から、結論を先に言ってしまうならば、あまり文法書の言うことに従わないで、コンテクストと翻訳者の語感を信じた方がよい、ということになります。動詞の過去時制に関してなにか勘違いをしていないことが前提ですが。
言いかえると、まあ、フランス語の過去表現を日本語の過去表現に移すときの一般法則を提示するのは難しいのです。

まず、複合過去と単純過去の区別ですが、単純過去とは過去の事実を客観的に語っているだけでして、語っている語り手とか、語っている語り手がいる現在時制の世界とは切り離されている世界です(これを研究者によっては、récit と呼びます)。

これに対して、複合過去はつねに語り手のいる現在の世界と切り離せないのです(これを研究者によっては、discours と呼びます)。その証拠に複合過去(英語でいえば現在完了)は、avoir またはetre の現在形のあとに過去分詞を付けるのでしたね。ですから、小説などのなかで、複合過去がでてくるのは、多くの場合、読者に話しかけているような感じ、はっきりと読者をvous と読んだりはしていないが、心理的にそういうニュアンスがあることがあるのです。まあ、こういうニュアンスがうまく訳出できるかどうかはシチュエーション次第ですが。つまり、現在形―複合過去―半過去、という一つのグループがあるのです(現在形が中心)、単純過去を用いる場合は、単純過去―半過去―大過去(単純過去が中心)という組み合わせで一セットを作ることになります。

もうひとつ、フランス語翻訳で、こうした時制の訳でいえることは、「半過去はわりあいと現在形で訳せる場合がある」ということです。これはちょっと誤解をまねきそうな言い方ではありますが、半過去は過去形ではあるけれども、一般的な事実、一般的な真実を述べることがあります。こういう場合はもちろん(一般的な事実、真実ですから)現在の事実、真実のように表現してもよいわけです。

もうひとつ、半過去は過去のことをあたかも現在のように描き出すという性質があります。たとえば、絵画的な半過去とかよばれるものなどは翻訳では、今、現に目の前にあるかのように描写するわけです。そうすると、現在形となじみがよいことになります。

イタリア語翻訳に登場する外国

 イタリア語翻訳をしていて、ときに外国を指し示す表現に出くわすことがある。もちろん日本語にもこれはある。年配者なら理解できるだろうが、小麦粉のことをかつて同胞はメリケン粉と称していた。アメリカが放出した粉という意味合いからこう言い慣わすようになったに違いない。またかつては国際問題にもなりかけたトルコ風呂というものも存在した。 
 一方のイタリア語ではどうか。イタリア語翻訳のさい、これをそのまま日本語に訳出していては日本人には到底理解できない表現がいくつかある。当のイタリア人は平気で使っているようだが、どれもこれもあまり好ましい表現とは思い難い。 
 なんといっても最大に槍玉に挙げられているのがイギリス人だ。よほどイタリア人には癇に障るのか、fare l’ingleseといったら直訳ではイギリス式にやるということだが、これは知らないふりをする、という意味でしか使わない。よほどイタリア人にはイギリス人は無愛想に思えるらしく、andarsene all’ingleseという表現もある。これはイギリス風に立ち去るというのが直訳だが、挨拶せずにこっそり無断で立ち去る、という表現だ。イタリア語翻訳のときに、イギリス紳士らしくなどと思って、日本語で単純にイギリス風などと訳していたら、いささか悪意を秘めた意味合いを見落とすことになってしまう。 
 一方fare il portogheseポルトガル人をやる、という表現は歴史的な理由があって16世紀に首都ローマでポルトガル人に無料で交通機関が解放された事実に由来するのだが、よほど今でもその優遇に根を持っているのか、現代では無賃乗車や入場券を買わないで劇場などに入り込むことを指す。
 spagnolescoはスペイン人のように横柄で尊大な、という意味の形容詞になるし、spagnolismoもスペイン語特有の語法やスペイン語起源のイタリア語という本来の意味を持つが、スペイン人的性格として目立ちたがりというニュアンスで使われる。 
fumare come un turcoはトルコ人のようにタバコを吸う、つまり現代社会には居づらい存在となったヘビースモーカーであることを示す語句だし、parlare turcoトルコ語を話すなら、意味不祥のことを言うことを指す。
 araboはアラビア語という意味だが、不可解な言葉をも意味する。だからparlare araboも前述のトルコ語と同じく、訳のわからないことを言うという意味になる。
 fare lo svizzeroスイス人をやるだが、これは異様なことをするというイタリア語翻訳が適切となる。特に国境を接している北イタリア人にはスイス人は理解し難い存在らしい。
 こうやって考えていくと、日本人や日本語が登場する悪い言い回しがイタリア語には存在しない。それは喜んでいいことなのか、何を考えているのかさっぱりわからない民族扱いされていると嘆くべきなのか、果たしてどちらだろうか。

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